清流に住むのか
あるチームスタッフとお話をしました。
これから私が関わっていく活動を話していたら
ある方がとても反応してきました。
その方の言動には何か物凄い ジャッジ を感じました。
詳しくはここでお話しできませんが
会話の中で 相手の話になにか怒りや異論がこみ上げるのは
自分の中に まだ解決できていない問題があるから
とてもこわくて達成したくない、批判してしまう目標は
実は、とても実現したかった目標なのだ
そう感じました。
純粋ゆえに かたくなに意見は曲げず
この怒りを解いてみろ!
この疑問に答えてみろ!
というような意図を受け取りました。
お話を聴いていく中で
意見=事実 ではない こと
に気づいてくれたことで
涙を流し、怖い。と語ってくれた その方に
純粋な 人の美しさ を見ました。
私も純粋なので・・・(笑) 思うのですが・・・
なんでも腹八分がちょうどいいのかもしれません。
水清ければ 魚は住まず
純粋であることは ある意味 社会に対して
とても多くの疑問と憤りをもつことになるのでしょうか。
残念ながら、こうあるべきだ!と裁いてみても
どうにもならないことは沢山あります。
でも、あの方のように
純粋に社会に対して疑問や怒りをもち
それをどうしたらいいのか
問題意識をもっていきることは
私たちの無意識にきっと有効に作用する時が
くると思いました。
清流にしか住めない。というわけにはいかないのですから。
| 固定リンク
「その意味」カテゴリの記事
- ありがとう2005。(2005.12.25)
- 発展(2006.01.01)
- 育てない手助けするだけ(2006.12.18)
- そのままでいいのです には主語がある?(2007.02.08)
- 見ているのか感じているのか(2008.02.25)











